モモちゃん日記!


ツマの親戚が「飯田嘉吉」をキーワードに検索したところ、思わぬ情報が得られたことが事の発端でした。

ますはその「飯田嘉吉」なる人物についてご説明いたしましょう。


飯田嘉吉


飯田嘉吉はツマの直系の曽祖父にあたります。

その嘉吉についてツマは亡くなった祖母から「昔、北海道で材木商を営んでいたが、いろいろあって財を無くし東京で亡くなった」とだけ聞いていたそうです。

祖母はそれ以上のことを語ることもなかったため、ツマもそしてツマの両親を含め親戚一同、嘉吉という先祖に関する情報をほとんど持ち合わせておりませんでした。

そんな折にネットで飯田嘉吉を検索したところ、いくつもの足跡が残されていることが分かりました。



■ 滝上町 滝上公園のサクラ

■ 鴻之舞金山

■ 国会図書館所蔵デジタルアーカイブ 移住者成績調査 北海道第五部殖民課編






ツマの先祖(飯田嘉吉)は徳島県出身(徳島県那賀郡長生村字明谷 )という事実の発見。

嘉吉の姉は徳島に残ったようなので、その子孫の方もどちらにかいらっしゃる可能性も。

そして北海道にて当時東洋一の金山と呼ばれた鴻之舞金山の鉱業権代表者となり、売山後は北見木材株式会社を興し紋別漁業港築設にも貢献したが、風水害そして関東大震災のあおりで取引先からの手形被害で再起不能となり東京青山で亡くなったということ。
(ツマの祖母の話と一致します)

これには親戚一同驚くばかりでした。(曾おじいちゃんスゴスギ!)

徳島県那賀郡長生村字明谷は現在の徳島県阿南市長生町明谷か?
飯田嘉吉


そして私たちは 「 十勝植林記  〜父・仲田市太郎の想い出 」(赤い実企画出版)という本と出会うことになります。

十勝植林記  〜父・仲田市太郎の想い出 」は当時北海道にて未来の人々のために私財を投じ植林事業を展開し続けた英雄的名医「仲田市太郎氏」が北見方面を旅した記録「北見遊見記」の中に嘉吉に関する一文がありました。

十勝植林記  〜父・仲田市太郎の想い出 十勝植林記  〜父・仲田市太郎の想い出

札幌にお住まいの著者の飯塚ちどり様は仲田市太郎氏のご令嬢で、編集にあたられたのがお孫様にあたる赤い実企画の飯塚優子様です。

北見遊見記によれば飯塚優子様の祖父仲田市太郎氏とツマの祖父榮(嘉吉の子)が88年前に紋別で歓談していたと言う事実。
それもまた不思議な縁を感じました。

これについては飯塚優子様も赤い実企画のつれづれ雑記帖において
「11月7日(火)  想いをたどる旅」
「2007年2月7日(水)  インターネットがつなぐ縁」
に書かれています。

十勝植林記  〜父・仲田市太郎の想い出 」には仲田市太郎氏の暮らした当時の様子が実に生き生きと綴られています。
そこには同時代を生きた飯田嘉吉や榮の姿まで浮かんでくるようです。

私たちにとってはまさに家宝と呼ぶべき書籍です。

飯塚優子様へは何度かお電話でお話させていただく機会に恵まれ、その中で紋別市立図書館に勤められるY様をご紹介いただきました。
Y様は紋別の歴史に造詣が深く、飯田嘉吉についても情報をお持ちとのことで、そのY様からもいろいろと貴重な情報をいただくことが出来ました。
なんと嘉吉に縁のある方が紋別にいらっしゃると言うお話も。

上藻別駅逓所(鴻之舞金山資料館)パンフレットより


飯塚ちどり様 優子様 そして紋別市立図書館のY様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

できることならツマの両親と一緒にご挨拶にも伺いたいのですがなかなか思うようにもいかず。

これからはそれを目標にしてまいりたいと思います。

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インターネットによって生活は大変便利になりました。

ネットはPCとPCを繋ぐだけではなく、時空を超えて人と人とをも繋いでくれました。



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